ニビル2009.11.10 の記事から本来の自分は驚くような印象を投げかけてきました。 実は、さっきから私は「惑星X」の存在が気になっていました。 高次の存在から、「惑星X」に行きたくないかと言われていたのです (先ほども言いましたが、高次の言う「惑星X」は、C1の科学者が言っている「惑星X」とは別のものです。 私は両者を同じものだと思っていたのですが、違っていました。 ですが、結果的には目的の惑星は「二ビル」だということがわかり、大きな問題はなかったみたいです)。 私は、「惑星X」に行くのは、冥王星を訪れた後がいいのではないかという思いがどこかにあったので、行くという意思表示をしませんでした。 しかし、「本来の自分」の住みか(フォーカス119あたり)に来て再び同じ印象を投げかけられたとき、私はとうとう「惑星X」に行く決意をしました。 というか、そのように仕向けられました・・・ 「本来の自分」達とともに、私は「惑星X」へと向かいました。 太陽系全体のビジョンが一瞬感じられたあと、太陽系の端の方に、虹色に輝く惑星がありました。 これが非物質的に見た「惑星X」らしいです。 実は、「惑星X」について先ほど「本来の自分」から驚くような話をされていました。 「本来の自分」から、わりとはっきりとした印象をもって、「アヌンナキは二ビルから来た。」と言われました。 「本来の自分」によれば、われわれが科学の力で発見しようとしている「惑星X」というのは、「二ビル」ではないらしいです。 そうではなく、「二ビル」というのは別次元に存在しているというのです。 同時に、バシャールの伝える真実と同じことを別アングルから言っているだけなのだという印象が感じられました。 確かに、バシャールも、「アヌンナキは別星系からやってきた。」と言っていました。 つまり、「二ビル」が別次元にある星だとするならば、本来の自分が言っていることとバシャールの言っていることは、まさにぴったり符合するのです。 つまり、今私が「本来の自分」と一緒にやってきている「惑星X」は、別次元にある「二ビル」なのだというのです。 私は「本来の自分」と一緒に虹色に輝く「二ビル」の中に入って行きました。 すると、中に一人の女性の姿をした高次の存在がいました。 その姿は、今まで何度もご紹介してきたある高次の姿なのですが、ちょっと今でも混乱しており、それが誰なのかは伏せておきたいと思います。 私にとって非常になじみのある存在であり、今まで何度も助けられた存在です。 そして、向こうで出会った中でもっともリアルに見えた存在でもあります。 その人物はガイドよりもリアルに見えましたし、C1で見る人間と同様のリアルさに感じられました。 その存在が、「二ビル」という別の星(別宇宙)にいて、「アヌンナキ」と呼ばれている人物だと「本来の自分」が私に説明し、ここまで私を連れてきている・・・ なんとも驚くべき展開になりました。 ちなみに、アヌンナキの伝説によれば、彼らは自分たちに似せて地球人類を作り出したとされていますから、 彼らがわれわれと全く同じ人間のように見えても全く問題はないわけです。 そのアヌンナキと思われる人物から「よく(ここまで)来たな。」と言われたのですが、 その口調までも以前よく会っていた頃と一緒だったような気がします。 私は、この「二ビル」の探索はまた次回に譲りたいという意思を表明し始めていたので、 「本来の自分」や他のガイド(モンローさん)に告げて、いったん海王星の仲間がいる領域まで帰還することにしました。 その帰り道に感じた印象が面白いものでした。 自分が今いる場所が全く別次元であるという印象が感じられたことです。 C1でも、われわれの知るどのフォーカスレベルでもなく。 もちろん、地球圏にある信念体系領域とも感じられるエネルギーは違っていました。 そして高次の世界にある信念体系領域でもなく・・・(そんなものはおそらくないと思われますが)。 どうやって帰ったかわからなかったのですが、「本来の自分」とモンローさんに連れられ、私は仲間が待つ宇宙船へと帰還し、 みんなで再びF35の領域まで帰還し、そこからみんなでルシアガーデンまで戻って行きました。 そして、メモを残すために急いでF10のスペシャルプレイスまで戻り、C1へと帰還しました。 未知の世界を探索していると、われわれの現実世界とは無数に存在していることに気付かされます。 もちろん、このC1が一番リアルに存在しているのですが。 我々の本質とは何かと聞かれたとき、皆様はなんと答えるでしょうか。 私なら、「意識(今ここにいるという感覚)ではないでしょうか。」と答えます。 意識としての本質をもった我々が、ほんの束の間、このC1世界にやってきて、現実世界を生きていると「錯覚して」います。 しかし、もちろん、生きているわれわれ自身にとってみれば、まぎれもなく現実世界であることに変わりはないのですが。 つまり、「現実」とは絶対的なものではなく、相対的なものにすぎないということのようです。 「どのレベルからみるか」によって、その様相が異なってきます。 高次からこんなたとえ話をされました。 「あなたが見ている『花』は、あなたにとっては『花』に見えるかもしれないが、 別の存在から見れば、エネルギー体として見えるだろう。 また別の存在から見れば、『愛そのもの』として見えるだろう。」と。 すべて同じものを別の側面からみた捉え方の違いにすぎないのかもしれません。 今回の「A地点からB地点への移動」の話も、惑星の行っているエネルギーの中継の話も、「アヌンナキ」の話も、「花」の話もすべて、 「物事の捉え方は一通りではなく複数の捉え方がある」ということを私にわからせようとするたとえ話としての意味を持っているようです。 つまり、物事はいろんな角度からみることができるのだということ、 それをC1での生活にも活かせるのだという「気づき」がここに含まれているのかもしれません。 今回の探索を経て、そんなことを考えました。 私の知る「二ビル」には再び行かなければならない気がなんとなくしています。 なぜなら、そこには自分自身についてのルーツを探るようなワクワク感があるからです。 (多くの方は、アヌンナキをいわゆるネガティブな存在としてとらえているように思います。 ですが、バシャールはどちらかというとポジティブにとらえているように私は思います。 そして、上の情報だけをみると、「本来の自分」もアヌンナキがもともとはポジティブな存在であると捉えているように思えます。 ですが、現在もこれについてはまだ調査中であり、正直よくわかっていません。 ただ一ついえるのは、惑星ニビルは別次元に存在していたこと、 アヌンナキと思われる人物は確かに私の知る人物に似てはいましたが、太陽意識のエネルギーとはかなり異なる印象があったことです。 エネルギーはほとんど感じなかったと言った方がいいかもしれません。 ただ、実在界にいる存在も同様に感じられますので、それだけでは決め手にはならず、現段階では正直よくわかりません。) |